教えのやさしい解説

大白法 493号
 
定業不定業(じょうごう ふじょうごう)
 「定業」とは、過去の善・悪の業因(ごういん)によって果報(かほう)を招(まね)くことが決定(けつじょう)した業(ごう)をいい、「不定業」とは、果報を招くことが決定していない業をいいます。
 この「定業」「不定業」の区別には、第一に、果報を受けるか受けないかによって分ける場合があります。
 これは、今生(こんじょう)における身口意(しんくい)にわたる善・悪の業が、重い業か、軽い業かによって受・不受を分けるものです。
 重業(じゅうごう)の原因としては、強い煩悩(ぼんのう)、または善心(ぜんしん)によって深く思惟(しゆい)した結果なされた業。また、父母などの恩あるものや、仏法僧のような功徳のあるものに対してなされた業などがあり、これらに対する行為や言動(げんどう)は、善につけ悪につけ定業となります。そして、これ以外のものは軽い業であり、不定業となります。
 第二に、果報を招く時が定まっているものと定まっていないものを分ける場合があります。
 これには、順現法(じゅんげんほう)受業・順次生(じゅんじしょう)受業・順後次(じゅんごじ)受業の三種があります。
 順現法受業とは、現世に業を作って現世に果を受けること。順次生受業とは、今世(こんぜ)に業を作って次の生(しょう)に果を受けること。順後次受業とは、今世に業を作って三生(さんしょう)以後において果を受けることをいいます。
 そして第三に、果報と時がともに定まっているか否(いな)かによって分ける場合があります。
 これには、異熟(いじゅく)定・時分(じぶん)定・倶(ぐ)定・倶不(ぐふ)定の四種(ししゅ)の業があります。
 異熟定とは、果を受けることは決まっているが、時は不定であること。時分定とは、時は定まっているが、果を受けることが定まっていないこと。倶定とは、果と時がともに定まっていること。倶不定とは、果と時がともに定まっていないことをいいます。
 このように、現在の宿業(しゅくごう)の中で、前世(ぜんせ)からの業によってすでに定まって改変(かいへん)することができないのが「定業」であり、自他の功徳や善業によって改(あらた)められるのが「不定業」です。
 「不定業」は当然のこと、「定業」をもよく転じ、幸福な境界を得るためには、日蓮大聖人の仏法によらなければなりません。
 大聖人は、『可延定業(かえんじょうごう)御書』に、
 「業に二あり。一には定業、二には不定業。定業すら能(よ)く能く懺悔(さんげ)すれば必ず消滅す。何(いか)に況(いわ)んや不定業をや」(御書 七六〇)
と、人の智慧では計(はか)り知ることのできない、また転ずることのできない「定業」も、仏法の不可思議の功徳によって救われる、と仰せられています。
 つまり、「定業」に苦しむ人が、深く過去の謗法罪を懺悔し、日蓮大聖人の御金言(ごきんげん)を信じて三大秘法の御本尊を受持し、南無妙法蓮華経と唱えるところに「定業」を転ずる大功徳が生じるのです。